2014年8月、牧山ひろえはストラスブール視察を行いました。 ストラスブールは、欧州評議会や欧州人権裁判所、またEUの欧州議会の本会議場など、重要な欧州機関が存在する「欧州の首都」とも言うべき、ヨーロッパの歴史と現在を象徴する都市です。
ストラスブールは、アルザス地方の中心都市です。アルザス地方は、古くから欧州の交通、物的・人的交流の要であり、そのため独仏両国の争奪の的となってきました。フランス語で行われた「最後の授業(アルフォンス・ドーデ作)」に象徴されるように、戦争のたびに、ドイツ領になったりフランス領になったりという状態だったのです。
今はフランス領ですが、文化面ではドイツの色彩が強いようです。例えば料理にしても、典型的なフランス料理というのは全く見かけず、ザワークラウトやソーセージなどのいわゆるドイツ料理ばかりでした。
このような長きにわたる争いの舞台となった地域だからこそ、平和を維持しなければならないということの象徴として、また人権、民主主義、法の支配等の価値の尊さを考える場として、欧州評議会やECの欧州議会など、欧州統合の中心機関が置かれているのではないでしょうか。
<欧州評議会>
欧州評議会(Council of Europe)は、1949年ストラスブールに設立された、民主主義、人権、法の支配といった共通の価値の実現と、ヨーロッパの統合に取り組む国際機関です。現在の加盟国は、EU28ヶ国を中心とした47ヶ国。加盟国の総人口は、8億人に上ります。よく混同されますが、欧州連合(EU)とは異なる組織です(先程述べましたように、EUの欧州議会もストラスブールにあります)。
欧州評議会の本会議場。日本はアメリカ等とともに、欧州評議会のオブザーバーになっています。
欧州評議会の前庭です。
<欧州諸国のODA施策>
私は、現在参議院外交防衛委員会の委員を務めています。外交防衛員会や質問主意書で、たびたび、政府開発援助、所謂ODAに関する課題を取り上げてきました。ODAを巡る国際動向には、英仏独を始めとする欧州諸国の政策が色濃く反映されています。
そこで、欧州評議会のキャサリン・マフッチ=ヒューゲル対外関係顧問と会談を行い、欧州諸国の対外支援政策についてお話を伺いました。
欧州評議会の対外支援政策
◇近隣諸国との政治的な対話や協力の重視(地域性)
◇支援の実施に関しては、ヨーロッパ諸国共通の価値観、すなわち民主主義、人権尊重、法の支配などを尊重する方向で行う。
<欧州映画支援ファンド(Eurimages)>
欧州映画支援ファンド(Eurimages・ユーリマージュ)は、欧州の映画産業の保護と欧州各国間の製作協力を促すため、欧州評議会が1989年に設立したファンドです。現在、47ヶ国の欧州評議会加盟国中、33ヶ国が加盟しています。年間予算は2,500万ユーロ。支援した映画の中には、アカデミー賞外国語映画賞やカンヌ映画祭パルムドールを受賞した作品も多数あります。
牧山ひろえは、以前松竹等で映画関係の仕事をしており、政治の世界に入ってからも、日本のコンテンツ産業の育成は、政策の重要な柱の一つとなっています。日本の映画産業は、その質の高さに相反して海外展開(国際ビジネス)において成功しているとは言えません。また、近隣諸国との共同制作も微々たるものです。
この課題に取り組むため、ロベルト・オッラEurimages事務局長と会談を行いました。
こちらで伺ったお話の内、印象深かったのは、Eurimagesが支援する映画の国際共同制作の場合、それぞれの国の出資比率やスポンサードする作品の選択の仕方等、運営上のルールがとてもきめ細かく取り決められていることでした。
Eurimages で伺ったお話内容(一部抜粋)
・まず、支援すべき映像作品の決定には、非常に厳しい審査があり、ほんの一部の作品しかスポンサードされません。
内容としては、新規性があり、かつ芸術的な要素が求められます。リメーク作品であっても、新規性があれば認められます。加えて、作品の内容以前に、著作権など法律的に問題がないかも厳しくチェックされます。
・また、共同制作に関しては、国際共同製作契約の規定に準拠するのが大原則です。
・まず、映画製作に重要な役割を果たすプロデューサーについては、ファンド参与国からプロデューサーを2人以上立てること(同一国は不可)とされています。
・審査に際しては、プロデューサーから脚本の段階で(撮影開始日までに)、申請が送られることになっています。その審査は、非公開とされる複数の有識者(第三者)により、厳しくチェックされることになるのです。
このように、過去の経験を踏まえ、様々なことに配慮したきめ細かい決まり事があるからこそ、支援した映像作品が各種の映画賞を獲得するという成功を収めることが出来ているのではないでしょうか。
共同制作について、ケースバイケースにせず、事前に大枠の方式、流れを固めておくというEurimagesのあり方は、日本のコンテンツ産業育成政策においても、参考にすべき点だと思います。
<ランジュ記念博物館>
ストラスブールは、アルザス地方の中心都市です。アルザス地方は、古くから欧州の交通、物的・人的交流の要であり、そのため独仏の争奪の的となってきました。
近い歴史では、ヴォージュ山脈を横切るランジュ峠(標高787m)一帯が、当時のフランスとドイツの国境周辺に位置していたため、第一次世界大戦の戦場となっています。
ランジュ峠に位置する「ランジュ記念博物館」。 歴史を学び、戦死者を悼むため、こちらにも足を延ばしました。
展示施設内には、両国の軍服、装備品、弾、写真、動画等が展示されています。
現地の人が言うには、日本の政治家でこちらを訪れたのは、私が初めてとのことでした。記念に記帳を求められたので、平和への思いを書かせて頂きました。
日本に大きな破局をもたらした第二次世界大戦は、第一次世界大戦とその事後処理が原因となって起こっています。ですのに、こちらを訪れた日本の政治家が今までいなかったことには驚きました。
<ハルトマンスヴィラーコップフ>
ヴォージュ山脈の一部をなす山であるハルトマンスヴィラーコップフ(標高956m)は、ランジュ峠と同じく、独仏の国境周辺に位置し、第一次世界大戦の戦場となりました。
実は、私が訪問する数日前に、第一次世界大戦の独仏開戦から100年を記念して、このハルトマンスヴィラーコップフで、独仏両国による追悼式典が開かれました。式典では、ドイツのガウク大統領とフランスのオランド大統領が、慰霊碑に共同で献花し、お互いを抱擁しています。悲劇を再び繰り返さないよう友好を再確認し、平和への誓いを新たにしたのです。
その時に両国首脳によって、供えられたお花がまだ残っていました。
両国の首脳が平和を誓い合った、ハルトマンスヴィラーコップフの慰霊碑です。
第一次世界大戦時、両軍はこの頂上を目指して激しい戦いを繰り広げました。頂上でいざ相手方に直面し顔を突き合わせた時、彼らは何を思ったのだろうと思索にふけりながら頂上にある慰霊碑に到着し、ふと横を見ると綺麗な虹が出ていました。
ちなみに、後から地元の人に聞くと、頂上で出会った両軍兵士は、顔を突き合わせては相手を撃つことが出来なかったそうです。そして現場で密かに、クリスマス休戦を合意したり、食料を交換したりしあったそうです。人間性の本質を垣間見る思いのするエピソードでした。
ハルトマンスヴィラーコップフの塹壕跡です。塹壕は、戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴または溝です。「西部戦線異状なし」という映画でも描写されていた通り、第一次世界大戦で戦争の中心は、従来の野戦から敵の塹壕を制圧する事を目指す塹壕戦へと変わったと言われています。
ハルトマンスヴィラーコップフは、戦略上の要衝として激戦の舞台となり、実に3万人の兵士が戦死しました。その流血の多さから、「人食いの山」とも呼ばれていると言います。
地元の人の言うところでは、この地域では10億発以上の銃弾・砲弾が飛び交いました。不発弾の処理には、今後100年以上掛かると言われています。見つかっていない戦死者の遺体も多く、未だに新しいご遺体の発見が続いています。
世界大戦後、歴史的対立を克服したヨーロッパ。どうしても、未だに第二次世界大戦の歴史認識を共有できないアジアの現状と比較してしまいます。現在与党が進めている集団的自衛権の容認議論は、今回の視察で感じたような戦争の生々しい悲惨な現実を直視していない、地に足がついていないものに感じてなりません。平和についてより深く考えさせられた視察となりました。